〜どこにでもあるふらりとしたエピソード〜


 もみじの葉が色付き始めたある日の昼下がり
世界のとある場所で、とある一人の男が、とある仕立て屋の扉の前で右往左往。
彼はとある業界で働くボチボチ凄腕の営業マン

男「ここかぁおじさんが言ってた仕立て屋は...。しかし迷うなぁ。
  正直オレの中では『ダサくて高い』がテーラーのイメージなんだよな...。
  しかしもう来月から本社勤務始まっちゃうしなぁ...
  よし、決めたぞ!!デカい仕事がオレを待ってるはず!
  いっちょ、いいヤツ行っとくか。goだ!」

♪カラン カラン♪

さっきの勢いとは裏腹に、男は扉の中へおそるおそる体をすべりこませた。
まず男の目に飛び込んできたのは、うず高く積み上げられた天然繊維の生地の山だった。

 ―カリブの光をいっぱいに吸収した綿のシャツ生地―
 ―タスマニアの草原を走る羊の毛をアルプスの水で紡いだスーツ生地―
 ―イギリスの古織機でギシギシと打ち込まれたビンテージ英国生地―

男が店の真ん中あたりで呆然と突っ立っていると、
奥から眼鏡をかけた初老の紳士がふわりとやって来た。
仕立て屋「いらっしゃいませ。お気に召した生地はございましたか?」
   男「あっ、はい。いや、まだよく見てません。おじに紹介されて...」
仕立て屋「そうですか、そうですか。ごゆっくりどうぞ」

何分かが過ぎていったが、男は正直なにが良いのわからず迷っていた。
仕立て屋「もしよろしければ、どういった状況でお越しいただいたか
     お話しいただけますか?」
男はちょっと格好をつけながら、本社に栄転が決まり、
会社に着て行く勝負服が欲しいという事の次第をざっと説明した。

すると程なく、
仕立て屋は生地の山から3点ほど生地を引っ張りだし男の両肩にずっしりと乗せてきた。

鏡に映る自分自身を見て、男は無意識につぶやいた。
 「へー。こんな色もオレには似合うのか...」
 (なんか鈍く光る生地だな。いかにも高そうだ。これが仕立て屋の生地かぁ。
   しかし高そうだなぁ...。
  おじさんに『20万くらいは覚悟しとけ』と言われてお札を握っては来たものの...
  やっぱカミさんに一言いっとくべきだったなぁ)

だけどここまで来ると引き返しにくい。
手を汗で少し湿らせながら男は尋ねてみた。
   男「これは高そうですね?」
すると、仕立て屋は静かに言った。
仕立て屋「 高そうですか...
     お客様の存在、選択がなければ、この生地から洋服は産まれません。
     今回仕立てられることとなりましたら、愛着を持って着こなされるでしょう。
     私は最低5年、いや生地によっては10年以上は着て頂きたいと願います。
     どうでしょう。5年という月日で考えられてみては、
     月一回の外食に等しいとは思われませんか?
     そのかわり一度お袖を通されたら5日は休ませてやって下さいね」

(そうかぁー。確かにそうだなぁ...。んっ、中5日!?
 じゃあ、あと4着いるじゃないか。
 まいったな...。いや待てよ。もともとの3着と、
 こないだスーパーでカミさんに強引に勧められて買ったやつがあるぞ!
 これで回る回る、オッケーだ!)

   男「それじゃあ、この右の方でお願いします!」
仕立て屋「かしこまりました。それでは採寸にはいりましょう」

男が採寸されることしばらく...

   男(こんなに自分の体を分析されるのは生まれてこのかた初めてだな、
     ちょっと聞いてみるか)
    「こんなに測るものなんですか?」
仕立て屋「それはですね、日本、いや世界には大きく分けて胸度式と短寸式の
     二つの採寸方法があると言われております。
     私はこの短寸式を自分なりに昇華させて
     うんぬんかんぬん......。」
男(熱い!!! まったく意味がわからない。まぁいいや)

ふと、仕立て屋「右ですか、左ですか? カットが違ってきますので」
   男「えっ!?」 あそこの事だった...


〜時計の針は男が店に入ってから30分を刻んだ〜

椅子に座り、コーヒーに砂糖を入れ、タバコを一服。
「ふひゅーーーぅ」

仕立て屋は「お疲れになりましたか?」と言いながらメジャーを肩に掛けた。
それから二人は仕事のことや、好きな映画、
先日大好きなドライブで偶然見た焼けるような夕日について語り合った。

そして、男の3本目のタバコが灰皿でもみ消された時、仕立て屋は言った。
「さて、あの生地をどう調理いたしましょう」

男(あーそうか、デザインを決めないといけないのかぁ。
  困ったな、前にも確かこういう経験があったなぁ...)

   〜3年前の秋初め〜
   男は現在の奥さんにあたる女性と久しぶりのデートをしていた。
   いつものカフェでランチを済ませた後、彼女は男にこう言った。
   「私、今日絶対買いたいスカートがあるの。あと、もしかしたら靴も。
   集中したいから、そこらへんでちょっと遊んでて! じゃ、またあとでねっ」
   言うなり、あっという間に雑踏に消えて行った。
   (おいおい。久しぶりに会ったっていうのによ...)

   (男は一瞬ア然としたが、この時、男の頭の中では鐘が鳴り響いた。
   (そういえば、あの子の両親にまだ一度も会ってなかったなぁ。
    ちゃんと挨拶行かなきゃな。でも、オレいいスーツ持ってたっけ?)
   そんな事を考えながら並木道をとぼとぼと歩いていると...
   『イージーオーダー 激安』
   と書かれた看板が目についた。
   男「イージー? よくわからんがオーダーとあるし、激安だし、とにかく入ってみるか」

   ウィィーン 自動ドアの扉が横へ走る。
   店員「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ!」
   店内には何点か生地が並べてあったが、結局勧められるままに選んだのは、
   こま切れになった生地をサンドイッチのように重ねた見本ファイルの中からだった。

   店員「デザインはいかがなさいましょうか?
      当店は今イタリアで話題の胸バルカポケット、
      袖のボタンを重ねるデザインなど本物志向のオプションをお勧めしております。
      いろいろつけても5万円台で出来ますよ」
    男「それは安い! それじゃあ、なんとなくカッコいいから、
      このチェンジポケットというヤツも付けて下さい」
   店員「はいはい。かしこまりました!」
    男「それにしても、洋服販売員の方はいいなあ。海外によく行かれるんでしょう?」
   店員「いえ、海外に行った事はありませんが」
    男「あっ、そうなんですか...」
   店員「お客様、もしもう一着お決めになられますと、二着目は半額になりますが。
      いかがですか?」
    男「んー!? いや今回は一着にしておきます...」

   男は差し出された書類に住所、メールアドレスなどを黒ペンで書き込んだ。
   店員「はいっ! 以上でございます。
      では、2週間後に完成品を宅配便でお届けいたします。
      ありがとうございましたっ!」

   男はイージーオーダーの店を後にし、彼女に電話した。
   彼女「あら、なんかうれしそうね」
   男「そうさ、オレは出来る男だからな...。はっはっは。
     ところで、君の買い物は終わったかい?」

   〜約2週間後〜
   男が早めに仕事を終えてアパートに帰った日、ドアには宅急便の置き手紙が。
   男「おーっと! あれかぁ、届いたんだな!」
   男はテキパキと連絡をし、届いた小包の前でハサミを握りしめ、
   はやる気持ちを抑えて開けてみた。
   「おっ!? オレが頼んだチェンジポケットが付いてる付いてる」
   エイヤッ! 着てみた。鏡の前で立ち姿。
   「ちょっと、たたまれてたシワが気になるが...。なかなか良いんじゃないの?
    だけどこんな生地だったっけな???」
   男は鏡の前でパリコレのモデル風に動いてみる。
   「とりあえず来週の同窓会はこれで決まりだな」

   〜同窓会当日 7:52pm〜
   同窓会の待ち合わせの場所には、
   女性のほうが明らかにたくさん集まっている様子だった。
   「おー、何年ぶり!?」
   「きゃあ! 子供産んだんだってー?」
   「おれ、離婚しそうなんだよ」
   わいわいがやがや...

   その中で、女性の1グループがある一人の男性を見てヒソヒソ話。
    男「なになに? どうしたの?」
   女達「いやね、あそこの端から2番目の彼って誰だかわかる?
   みんなで『結構素敵よね〜♪』って話してたのよ」
    男「あー、あれはたぶん鈴木じゃないかなぁ? オレちょっと行ってみよ」

   近づくにつれ、確かにカッコいい。
   ―薄いブルーのジャケットに、スラリとした茶のパンツ。靴はシュッと尖っている―

    男「おー! 久しぶり鈴木! 元気してたか?」
   鈴木「おーおーおー。久しぶりだなー、オマエかよ。おれはバリバリやってるぜー。
      おれさぁ、今年の初めに転職したんだよ。今はセレクトショップの店員やってんだ。
      いやぁ〜、ショップ店員ってイイぜー。華やかだし、ぶっちゃけモテる!
      オマエは車関係だったよな? どうなの最近?」
    男「そうかそうか。いや、オレもまずまず売ってるぜ。
      まあこっちの業界も全体的な景気はあんま良くないが、
      オレは出来る男だからな。はっはっは...
      あっ、そういえば! おいおい、そんなことよりこのスーツ見てくれよ!
      どうだイイだろ、チェンジポケット付きなんだぜ」
   鈴木はしげしげ眺め、
      「んー? ちょっと待てよ、
       体にフィットしてるかしてないかはこの際置いとくにして、
       それはマズイぜ。袖やポケットなんかはイタリアデザインなのに、
       チェンジポケットは英国デザインだぜ。おかしいぞ、はっはっは」
    男「ええっ!?!?」

    男はその後の事はよく覚えていない...
    男は9回裏に逆転サヨナラホームランを打たれたピッチャーさながらだった...


〜とある仕立て屋の店内〜    

「イヤな思い出」というものは、他人に話すとちょっと楽になるらしい。

そのせいか、男は3年前の同窓会での出来事を仕立て屋にまくしたてた。
うん、うんと、うなずきながら、最後まで聞いていた仕立て屋は
微笑みを交えながらこう説いた。

仕立て屋「そうですかそうですか。
     いくつかの悪い理由がたまたま重なったのだとお見受けしますが、
     私個人の見解を述べさせていただいてもよろしいでしょうか?」
男はこくこくと頭を縦に振る。
仕立て屋「まず生地について。
     洋服が届いた際にピンとこなかったとおっしゃいましたね?
     生地を約10cm×20cmにカットして集めたバンチブックから選ばれたのでは、
     全体像が見えなくて当然です。
     特に格子柄は相当オーダーの経験を積まれた方でないと
     イメージを浮かべるのは難しいでしょう。
     仕立て屋は一着分の生地をお客さんの肩から掛けることにより、
     生地の風合い、やわらかさ、光にあたったドレープ感などをお客様に伝えるのです。
     それから、デザインについて。
     その店員の方が言った『イタリアで今流行のデザイン』ですが、
     その表現にはやや語弊がありますね。
     簡潔に言いますと、現在のスーツの形、
     つまりは上下共地で作った洋服、ジャケットとパンツの組み合わせですね。
     これは約150年前に確立されたようです。
     『そしてスーツは生き残った』とおっしゃる方もいたようですが、
     現在までに、外見のデザイン面ではほぼ全てが出尽くした、
     といっても過言ではないのです。
     イタリアのバルカポケットや袖重ねボタンなどもそれに含まれるのですが、
     南イタリアのナポリで何十年も前から現在に至るまで普通に常用されている
     技術・デザインなのです。
     日本では誤認されている方も多いようですが...。

     『仕立ての文化』から生まれた洋服(スーツ)は、
     毎年流行を作っていくファッションビジネスや、
     川上から川下へ下りてくる既製服とは根本的に別物であると私は認識しております。
     『スーツは100%サラリーマンのユニフォームなのか? 否!』
     という世界がここにはあるのです。
     『スーツは世界共通の身だしなみであり、男性服の最終到達点』だと私は思うのです」

男は仕立て屋の言葉を理解しようと必死に耳を傾けていた。
仕立て屋「いやいや、すいません。話がやや脱線してしまいました。
     確かにイタリアルーツのスタイルデザイン、
     英国・アメリカルーツのスタイルなどはそれぞれの国の気候、文化、
     国民性などにより発生し、存在しています。
     しかしそれと同時に、お客様のやってみたい
     デザインやスタイルを全て実行してもかまわないのが、
     オーダーメイドの洋服(スーツ)なのです。
     今回のデザインの問題に関しましては、
     お客様がそれらを知っていて確信犯的に注文なさっていたなら、
     何も問題はなかったように思われます。
     そういった時、お客様に情報、知識をしっかり伝え、
     いらぬ失敗を犯させないように出来るかどうか。
     それがプロの仕立て屋かどうか という事ではないでしょうか。

     そして核心に入ります。
     今日、今、私はお客様にご注文を頂いた時から、
     あなた様の専属仕立て屋となりました。
     しかしこの一着でお客様が心から満足されるかどうかはわかりません」

   男「えっ!?!?」

仕立て屋「それはこういう理由からなのです。
     一般的に、『お仕立て』は同じ仕立て屋で二着、三着と誂えていくうちに、
     満足いくようになると言われております。なぜだかおわかりですか?

     初めて『お仕立て』をされる際、お客様の頭の中には、
     自分自身の理想のスタイルが非常にぼんやりとではありますが存在しています。
     が、しかし、その後2回、3回と『仕立て』の経験を重ねるごとに、
     お客様の頭の中にあったぼんやりとしていた理想のスタイルは
     輪郭線をはっきりと描き始めるのです。
     そうして、お客様はご自身の希望を私ども仕立て屋に的確に伝え始められます。
     その頃には、仕立て屋とお客様の間に
     『あうんの呼吸』が出来始めていますので、
     仕立て屋はよりはっきりとしたその目標に向かって全力を尽くせる、
     というわけです。
     したがって自然と完成度・満足度は上がっていく。という訳です。」

男は胸の前で組んでいた腕をほどき、右手の人差し指でトントンとテーブルを打った。

目線はどこか遠くを見ているように。
   男「うーむ、なるほど...」

仕立て屋「今回、もしお客様にこれと言った要望がなければ、
     私は先ほどのお話しの内容から、立ち姿が美しいカッティングで、
     北イタリアのデザインを落とし込んだスタイルを
     お勧めしようと思っておりました」
仕立て屋は一呼吸置いてから、こう続けた。

「技術的な面に関しては、私は裁断・縫製の技術を会得しております。
 イタリアでは両方を会得した仕立て屋をサルトフィニートと呼ぶようですが。
 両方の技術を持っているということが、私にとって非常に重要なのです。
 なぜなら、
 『型紙で作り出したラインはまだ未完成であり、
 重厚なアイロンでしっかり時間をかけてクセとりをし、
 緩急をつけた手縫いによって構築することで、
 シルエットは完成する』と私は考えるからです。

 今回のお客様の洋服の出来上がりの流れを簡潔に申しますと、
 私がこれより全体のシルエットを作る型紙パターンを作成し、生地を裁断した後、
 仮縫いに入ります。その後、私の考えを十分に理解してくれている、
 確かな技術を持った職人が手仕事で縫い上げます。
 型紙については、お客様の許可のもと、半永久的に保管させて頂きます。

 もし今回、私のプロとしての仕事に疑問を感じられましたら、
 どうぞ他の優れた仕立て屋をお探し下さい」

それまでの真剣な面持ちから一転、
仕立て屋はいたずらっ子のような笑みを浮かべてこう言った。
「お客様が人生の中で『仕立ての文化』を楽しんでいただけたら嬉しいな、
 という思いが私にはあります。
 ですがその一方で、仕立てにはまるとしんどいかもしれませんよ。
 どうです、引き返しますか?」

   男「うーん、そうですね...。正直おどろきました。
     街で見かけるオーダースーツという文字も、実は中身はいろいろだったんですね...。
     ごめんなさい、今夜ゆっくり自分で考えてみたくなりました。
     もしよろしければ、日を改めさせてもらえますか?
     えーとですね、明日夜7時なんかはどうです?
     店は開けていらっしゃいますか?」
仕立て屋はニッコリと笑顔で、
    「それが良いでしょう。何か資料の本をお貸ししましょうか?
     このドルソなんて、なかなか内容濃いですよ」
   男「いえ、ありがとうございます。なんだか自分で探してみたいんです」
仕立て屋「わかりました。それでは明日7時にお待ちしております」
   男「はい。それではよろしくお願いします」

男が待ちきれないように席を立ち、ドアに手をかけた瞬間、
仕立て屋はそっとつぶやいた。
「私たちは今日、お客様の理想の洋服に一歩近づきましたね」

男はニヤリとした顔を店内に残し、店を出た。
 ♪カラン カラン♪

外の空気はやや湿気を含み、空は赤く染まっていた。
男には、仕立て屋を訪れる前後では、一見何も目に見える変化はない。
しかし彼の人生は間違いなく『仕立ての文化』に触れたのだった。

   男「もしもし。あーオレオレ。今から少しして家に帰るから。
     あのさぁ、今日オレ出来る男にちょっとだけ近づいた気がするんだ」
   女「あらどうしたの? なんか謙虚ね」
 男の踏み出した右足はお気に入りの本屋に向いていた。



――――― あとがき ―――――――
この物語はフィクションです。
筆者の強い主観とちょっとした皮肉により出来ています。
筆者自身も仕立て屋です。
洋服を「仕立てる」ってことはすごく面白いと思うのです。
「買い物は選ぶから作るへ」と言った人がいました。
残念ながら現在、日本の「仕立ての文化」は瀕死の状態にあります。
これを読まれた皆様が、仕立てに興味を持たれて、
お近くの「技術を学んだ仕立て屋(テーラー)」
に足を運んで下されば、何より私は嬉しいのです。